今日は、いま読んでいる「フル・カタストロフィー・リビング」っていう本があるんですけれども、このタイトルについてちょっと気づいたことがあったので、その話をしようかなと思います。
この本は英語の改訂版で、初版の方は日本語訳も出ていて、その日本語版のタイトルは「マインドフルネスストレス低減法」っていうタイトルなんですよ。
なんでそのタイトルになったかというと、英語版の表紙にも書いてあるように、マインドフルネスストレス低減法(MBSR)というプログラムがメインのテーマになっている本なので、日本版はそう訳してあるんですけれども。
この「フル・カタストロフィー・リビング」っていうタイトルは、著者のジョン・カバットジンもすごく思い入れがあるタイトルのようで、第2版のイントロダクションのところで、何度も「カタストロフィー」っていう言葉が入っていないタイトルも考えたんだけど、でもやっぱりこのタイトルが頭から離れなくて、このタイトルにしましたっていうようなことを書いてるんですよね。
「カタストロフィー」って、破局とか大災害とか大惨事とかいう直訳になるかと思うんですけど、そういうタイトルでは売れないんじゃないですかって、編集の人から言われたみたいな話もあったりして。
でもそのタイトルを選んだということなんですよね。
これ、日本語に訳すとどうなるかなってけっこう多くの人が考えてるんじゃないかって思うんですよ。
例えば「大惨事に満ちた人生を生きる」とか。
でも大惨事というとやっぱ重すぎるのかなっていう感じもするし、どんな風に訳すのがいいんだろうっていうことで。
日本語版の方の本文の中では、たしかこのカタストロフィーを「厄介ごと」って訳しているんですよね。
「フル・カタストロフィー・リビング」で「厄介ごとだらけの人生を生きる」とかだったかな、そういう感じに訳されているんですよね。
なんかどうかなって。
「厄介ごと」・・・なんかもっといいのないかなとか、いろいろと考えてたんですけど。
この前、ふと、タイトルの訳としては微妙かもしれないけど、ニュアンスが近い日本語を見つけたんですよ。
それが僕が自販機でジュースを買おうと思って、自販機のところにいたら、近くで2人の人が話してて。
詳しい内容は聞き取れなかったんですけど、人生いろいろありますよね、みたいな感じで言ってたんですよ。
それがすごく僕にしっくりきて、「人生いろいろある」っていうのはニュアンスが近いなって思ったんですよね。
「人生いろいろある」っていう発言をするときって、その人生にさまざまな困難なこととか、嫌なこととか、辛いこととかが起こるんだけどでも、それでもなんとかやっていこうよ、みたいな、ちょっと意思もある気がしませんか?
「人生いろいろありますよね」って、「フル・カタストロフィー・リビング」が持っているニュアンスに近いのかなって思っていて。
この「フル・カタストロフィー・リビング」というタイトルって、大惨事だらけの人生でどうしようもない、みたいな感じではなくって、人生にはさまざまな困難が起きるけど、その中でどう生きていくか、それでも生きていくときにどういうふうにやっていけばいいんだろう、みたいな、ちょっと前向きなニュアンスもあると思うんですよね。
僕が思うに、ちょっと前向きなニュアンスもあるカタストロフィーだと思うんですよ。
人生いろいろあるよね、みたいな言葉って、言外に前向きなニュアンスが入ってて、すごくいいなって思いました。
日本語にもそういうふうにあるんだなって思って。
不思議だなって思うのは、「いろいろある」って、別に悪いとも良いとも言ってないじゃないですか。
でもなんか嫌なことが起こったんだなっていうのが伝わるし、さらにそれに屈してもないんだなっていうのも伝わるっていう、すごく日本語の深みを感じる表現でしたね。
シンプルな単語ばかりでできている表現ですけど、その時にその人が発していた言葉の抑揚とかのニュアンスも含めて、僕にそう感じさせたんだと思うんですけど。
人生いろいろあるよね、でもそれってこのタイトルに「人生いろいろあります」みたいなタイトルに訳しちゃったら、それはそれでどうかと思うんで、タイトル自体には採用できないかもしれないんですけど。
そういうふうに感じたって言う話でした。
今日はいつもよりもまとまりがなくて、とりとめなくやってますけど、こんな感じで続けていければいいかなと、悠々といければいいかなと思ってます。
今日で30回ということで、なんとか続けてこられました。
これからもときどき休んでしまうときもあると思うんですけど、自分のペースでやっていきたいと思います。
今日は長くなりましたが、これで終わります。