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「ありのまま」と「向上心」

今日は、瞑想における「ありのまま」と「向上心」という話をしたいと思います。

なんでこういう話題にするかと言いますと、ありのままという言葉ってよく聞くじゃないですか。

ありのまま感じてみましょうとか。

で、その「ありのまま」って、ちょっと誤解を与えやすい部分があるのかなと思っていて、それについて話してみたいなと思ったんですよ。

瞑想のガイドで「ありのまま」って出てきたりすると、あと、本とかで「ありのまま」という言葉を読んだりすると、ありのままを認めてしまっていいんだろうか、という思いが浮かぶ方がいらっしゃると思うんですよ。

自分はこういう姿になりたくて、こういう目標に向かって努力していきたいのに、ありのままを認めてしまうということは、向上心を放棄してしまうことになるんじゃないかと。

ありのままと向上心が両立しないんじゃないかって、感じられる方がいらっしゃると思うんですよね。

あと、広い意味での向上心というところでいくと、痛みがしばらくずっと続いているとしますよね。

少しでも痛みを軽くして、より良い生活を手に入れていきたいと、そのための方法を探している。

でも、ありのままっていう言葉を、聞いたり読んだりした時に、ありのままっていうのを受け止めてしまうと、痛みがあるこの状態のままでいいと、あきらめてしまうことになるんじゃないかと、感じられる方もいらっしゃるんじゃないかと思うんですよ。

皆さんはどう思われますかね?

ありのままっていうのと、向上心あるいは今より良くなっていきたいっていうのは、両立すると思いますか?

僕は、両立すると思っていて。

ありのままっていうのは、今のありのままなんですよね。

で、未来に関しては言及してないわけなんですよ。

今どういう感覚があるかとか、今どんな思いが浮かんでいるかっていうのを、ありのままに観察してみる、ありのままに見てみるっていうことなので、未来がどうであるかっていうのは言ってないわけなんですよね。

それで、ありのままっていうのが、むしろ変化を助けることになるんじゃないかって思うんですよ。

ありのままを認識するということが、変化を助けていくことになるんじゃないかって思うんですよね、正確に言うというと。

どういうことかというと、ありのまま、今の状態がどんな状態なのか、できる限り正確にそのままに感じ取ることができることによって、変化をするために、いい意味で冷静な方策が打てたりとか、効果的な対策がとれていったりするんじゃないかと思うんですよね。

というわけで、いわゆる「ありのまま」という言葉と、向上心や自分が希望する変化っていうものは、矛盾はしない。

むしろありのままを認識するということが、変化をしていくための助けになるということだと思うんです。

で、私たちは指導者としては、「ありのまま」は、気をつけないといけない言葉だなって思うんですよ。

僕は経験があるんですけれども、ある時に、まだ瞑想をお伝えし始めた頃の話なんですけれども、ありのままっていうことを少し誤解されてしまいまして。

ある症状がある方だったんですけど、もうこの症状は諦めろということですかと言われてしまったことがあるんですよね。

それでもうマインドフルネスのお話をするのは難しくなってしまったっていう経験があって。

私自身の力不足だったなと思うんですけども。

というわけで、ありのままということのニュアンスの伝え方については、気をつけるべきところがあるという話でした。

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