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「分かる」と「合わさる」- 物事を把握する2種類の方法

昨日、「フル・カタストロフィー・リビング」っていう本を読む動画の2回目を挙げたんですけれども、あの動画は作るのにけっこう時間がかかって毎日は出せないと思うので、週1ぐらいで、あの動画を出しつつ、その間はいろいろと話していこうかなと思っています。

 

今日は僕が思いつくままに、とりとめなく話していこうと思っているんですけれども、本を読んでいて感じたことなんですけれども、何かを「わかる」っていうことの話をしてみたいかなと思います。

本を読んで、それを要約するという作業をしていると、この本はこういう項目があってという感じで箇条書きにして、その本の内容を細分化していって、その一つ一つを理解することによって、全体をわかろうとするっていうふうになりがちだと思うんですよね。

その「分かる」という言葉も、そもそも「分ける」と同じ字じゃないですか。

たぶん語源的には、「分かった」っていうのは「分けられた」という意味じゃないですか。

そんな感じで、どんどん分解していって、各要素を理解して分かるって言うのが、一つの方法としてあると思うし、それが一般的だと思うんですけども。

「フル・カタストロフィー・リビング」っていうマインドフルネスの本を読んでいると、そのアプローチだけじゃダメだなっていうのをすごく感じるんですよね。

分ければ分けるほど、大切な部分が失われていくっていう気がしていて。

なので、「分ける」とは反対の「合わせる」というか、統合するっていう方向の理解の仕方もすごくいるんだろうなって感じたんですよ。

 

なので、統合して全体を把握するというか、自分の存在を通して、まず情報をすべて自分の中にそのまま感じた後に、自分から自然に出てくるものを出していくっていう方が、この種類の本の読み方としては適切なのかなって感じていて。

かといって、ふわーとした感じのままだと、皆さんも見にくかったりすると思うので、その分けていく方の理解の仕方と、統合していく方の、全体を把握するっていう方の理解の仕方のバランスを、どのようにとっていくかっていうのを、今後探っていければいいかなと思っています。

 

今この本だけではなくて、人生で起こるいろんな物事とか、いろんな対象に関しても、分けて分けてわかろうとして、うまくいかなかったりとか、行き詰まったりとかいうことってあると思うんですよね。

その時に、ちょっと視野を広く持って全体を捉えて、全体を分けるの反対で、合わせる、統合して理解しようとする、理解と言って良いかわからないですけども、把握しようとする。

そういうスタンスを取るのも、ときには大切なのかなって思った次第です。

 

今日はちょっと雑多な内容かもしれませんけれども、こんな感じで、短いですけれども終わりたいと思います

昨日の動画は20何分にもなって、あんまり再生数が上がってないみたいで、長すぎると、皆さんちょっと見にくいのかなっていうのも感じましたので。

今後、できるだけ短めの感じで作っていこうかなと思っています。

それでは今日は失礼します。

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