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肩の力を抜く、中庸

このシリーズも、できるだけ毎日投稿しているということで、もうそろそろ30回近くなってきて、なんか不思議な気分で、自分の知らないところで、直接顔を合わせていない方にも、少しずつ今まで自分がしゃべってきた自分の分身が語りかけているというのが、なんか不思議な気分になってきています。

ちょっとずつ再生されているみたいで、本当に見てくださる方ありがとうございます。

 

今日の話題なんですけれども、力を抜く、肩の力を抜くっていう話をしようかなって思います。

何かに取り組むときって、何かを達成しようとするあまりに、どんどん窮屈になって力が入っていってしまうということってあると思うんですよね。

例えば瞑想を継続する目標を立てたときもそうだと思うんですけど、瞑想をどんどんやっていきたいと、続けたいという気持ちが強くなりすぎると、もう体というか心が窮屈になってきて。

何かの拍子に続かなかったときに、自分はダメだっていう感じで、がっくりきてしまって、結局その後やらなくなってしまう。

そんな感じで、あまりに力が入りすぎて、自分自身に期待を高めすぎると、何かの拍子に大崩れしてしまうということがあるんじゃないかと思うんですよね。

 

ということで、どういうことが大切なのかというと、ときどき自分の状況に気づいて、肩の力をふっと抜くっていうのを、ときどき行うことが大切なんじゃないかなって思ったんですよね。

やっぱり肩の力を抜きすぎて、だらけてしまって続かないっていうのも、それはそれで駄目だとは思うんですけども、中間というか中庸で、ちょうどいいぐらいの緊張感、ちょうどいいぐらいの弛緩っていうのが大事なのかなって思ってます。

何事をするにしても、よく例えで、ギターとかの弦は張りすぎると切れるし、緩みすぎるといい音が鳴らないっていうのがありますけど、ほんとその通りだなって思いました。

瞑想をしていると、自分に力が入ってるなとか、視点が一つに狭まってしまってるなっていうことにふと気づく、そのきっかけを得られやすいんじゃないかって思うんですよね。

そういう意味でも瞑想していくと、人生いろんな局面がうまくいっていくのかなっていう気がしています。

 

というわけで今日は肩の力を抜く、中庸、みたいな話をしてみました。

では今日はこれで失礼します。

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