今日は顔がいつもより明るいと思うんですよ。
実は照明を買いまして、小型の四角い照明を2000円台くらいでアマゾンで買ったんですけど。
今パソコンで撮ってるんですけど、パソコンの画面に挟むことができるんですよね。
なので、カメラの方角から照らしてくれるので、コンパクトだし、ひじょうに良い買い物をしたなって思っているんですよ。
大きい三脚で、床に立てて使う、もっと大きな照明を持ってるんですけど、それだと机の上に置いたパソコンに向かって話すときは、三脚を立てる場所がなくて。
それも三脚の高さが結構あるので、真上から照らすような感じになっちゃうので、それがけっこう難点だったんですけれども。
このコンパクトな一個を買っただけで解決しちゃったので、もし皆さんZoomをされる機会が多い方はお勧めします。
ということで、全然関係ない話から入ってしまったんですけど。
今日話したいことは、大切なものほど気づきにくいという話をしようかなって思ってるんですよね。
なんでこういう話をしようと思ったかっていうと、最近、自分が持っている車を売ろうかなって思っていて。
売るとなると、やっぱり寂しい気持ちになるというか、もう6年くらい乗っていたので。
しみじみ車内を見渡してみたんですけど。全然気づいてないんですよね、いろんなことに。
ここに取っ手があるとか、何に使うか分からないですけど、取っ手があるじゃないですか。
ああいうのにも気づいてないですし。
あとは内装もよく見ると、布が貼ってあるんですけど、それもよく見ると柄があったりするんですよね。
それも全然気づいてないんですよ。
6年間乗ってたけども。
というわけで、生活を支えるものって意外と気づかないんだなって思ったんですよ。
それがもう当たり前になってるっていうことなんですよね。
むしろそれを当たり前だと、いつのまにか思ってしまっていることによって、自分の意識っていう資源も別のところにさけているとは思うんですけども。
時にはそういう当たり前のことに目を向けて、身近な大切なものに意識を向ける、というのはすごく大切なことだろうなって思ったんですよね。
それで、車だけじゃなくて、たとえば自分の体とかもとかそうじゃないかなって思うんですよね。
例えば心臓とかも、絶えず動いているわけじゃないですか。
でもその動きを意識することって、ほとんどないですよね。
なので、本当に大切すぎるものって気づかないんだなって、思ったんですよね。
でも瞑想って、そういうのに意識を向ける時間を与えてくれるのかなって思っていて。
大切すぎるものって、時間をとって観察しようと思わないと、観察することがないと思うんですよね。
なので、それって本当に重要だなって思ったんですよ。
まったくそれに気付かないまま、いつのまにか体調を崩してしまってから、それに気づくということも起こりえるわけなんですよね。
そういう生活の基盤を支えているような重要なものって、失った時のショックって大きいと思うんですよね。
落差があるじゃないですか。
当たり前だと思ってたけど、いきなりなくなってしまったっていう。
それも、その重要性にまったく気づいていなかったところから、いきなりということなので、ひじょうにショックが大きいと思うんですよね。
なので、定期的にそういう大切なものには注意を向けるっていう、つまり簡単にいうと、瞑想をすることって大切だなって思いました。
体もそうですし、身近な人間関係とかもそうかなって思います。
というわけで、今日はこれくらいにしようかなと思います。